大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 平成9年(ネ)588号 判決

主文

一  原判決を取り消す。

二  控訴人らと被控訴人らとの間において、別紙株式目録記載の各株式について、控訴人らが各五分の一の準共有持分を有することを確認する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

理由

一1  請求原因1のうち、第一段の事実は当事者間に争いがない。同第二段の事実は、控訴人らと被控訴人会社らとの間では争いがなく、控訴人らと被控訴人相続財産との間では、《証拠略》により、これを認めることができる。

2  請求原因2の事実は当事者間に争いがない。

3  同3の事実は、控訴人らと被控訴人相続財産との間では争いがない。控訴人らと被控訴人会社らとの間においては、同3のうち、(一)は六〇〇〇株の限度で、(四)は全て争いがない。《証拠略》によれば、同3のうち、その余の(一)の事実並びに(二)及び(三)の事実を認めることができる。

二  本件申述の錯誤性について

1  認定事実

請求原因4について検討するに、前示の事実及び《証拠略》によれば、次の事実が認められ(る。)《証拠判断略》

(一)  被控訴人会社は、電気工事請負業等を主たる目的として、額面株式一株の金額五〇〇円、発行株式総数二万株、発行済株式総数五〇〇〇株として昭和二六年八月四日に設立された。太郎は、昭和三七年六月、被控訴人会社の全株式を取得し、以後、被控訴人会社の経営に当たっていた。

(二)  被控訴人丙川は、もともと大分県耶馬渓町において一般産業廃棄物処理業を営んでいたものの、昭和五四、五五年ころ、太郎からその保有する株式の一部を譲り受け、被控訴人会社取締役に就任した。

(三)  被控訴人丙川の姉婿の妹である戊田松子(以下「松子」という)は、昭和三八年ころ、被控訴人会社に入社し、昭和四八年ころから、太郎と松子は、不貞の関係を結び、これを知った花子が別居して以降は、両名は(四)記載の丙川の居宅で同居していた。

(四)  太郎は、昭和五一年、北九州市《番地略》所在の土地建物(以下、まとめて「赤坂の不動産」といい、右建物を「太郎の居宅」という。)を購入するため、被控訴人丙川名義で借入をし、赤坂の不動産を被控訴人丙川名義で取得した。

(五)  佐藤税理士は、昭和五四年ころから、被控訴人会社の顧問税理士となり、太郎個人の顧問税理士ではなかったものの、太郎個人の確定申告書を作成したり、税務相談に応じていた。太郎死亡後、その弟竹夫が監査役を辞任した昭和六一年一二月以降、佐藤税理士がこれに代わって被控訴人会社の監査役にも選任され、被控訴人会社の顧問税理士と監査役を兼任し、報酬も両方から取得している。

なお、赤坂の不動産は、太郎の意に反して、昭和五五年一月三〇日、昭和五四年一二月二〇日付け贈与を原因として被控訴人丙川から松子に所有権移転登記手続がされてしまった。太郎は、後に、松子に対し、赤坂の不動産の名義変更を求めたが、松子は、これになかなか応じなかった。佐藤税理士は、右贈与の件について、松子から、被控訴人丙川から松子への名義変更を相談され、贈与の手続及び贈与税の申告に関わり、負担付贈与契約書を作成するなどして、同被控訴人及び松子に協力している。

(六)  昭和五八年二月一日、被控訴人会社の増資が行われ、増資後の発行済株式総数は二万株となり、株主及び持ち株割合は、太郎が五一パーセントの一万〇二〇〇株(本件株式)、被控訴人丙川が四〇パーセントの八〇〇〇株、松子が五パーセントの一〇〇〇株、松子の弟の戊田梅夫(以下「梅夫」という)が四パーセントの八〇〇株となった。この時の役員構成は、代表取締役が太郎、取締役が被控訴人丙川、松子及び梅夫であった。

(七)  太郎は、昭和五五年ころから心臓病を患っていたが、昭和五九年六月、心筋梗塞で小倉記念病院に入院した。太郎は、看病に当たった控訴人乙野及び同丙山に対し、被控訴人会社の株券、実印、権利証、通帳等の大切な物は太郎の居宅の金庫に入れてあると話していた。太郎は、右退院した後、家族全員で話し合い、控訴人一郎に被控訴人会社を引き継がせる決意をした。

そこで、控訴人一郎は、それまで経営していた旅行会社を廃業して、同年一一月二六日、被控訴人会社の取締役に追加就任した。なお、当時の監査役は竹夫であった。

(八)  花子は、昭和五九年九月、ガンにより小倉市立病院に入院し、余命半年程度と診断され、控訴人らが心傷しているところに、昭和六〇年三月三一日、太郎もその居宅において倒れ、搬送先の病院で心不全により急死した。

同日の夜、控訴人一郎、同中野三郎(以下「控訴人三郎」という)及び同丙山が、かねてから保管されている本件株式等の重要物を受け取りに太郎の居宅に赴いた。太郎の居宅には、松子、梅夫及び被控訴人丙川がいたので、右控訴人らは、太郎の遺品や金庫の鍵を渡してほしいと申し入れたが、被控訴人丙川は、これを拒否し、同控訴人らを家に上げようとさえしなかった。

(九)  控訴人らは、さらに同年四月七日、全員で太郎の居宅を訪れた。同所には、松子、梅夫及び被控訴人丙川がいた。控訴人らは、今度は家に上げてもらったが、被控訴人丙川らが再び鍵がないと言うので、結局金庫を鍵屋に開けてもらった。しかし、金庫の中には、控訴人乙野が太郎から聞いていた重要物(被控訴人会社の株券、太郎の実印、印鑑登録証、銀行の通帳、生命保険関係書類、カメラ、ダイヤ等)は一切入っていなかった。

(一〇)  控訴人らは、同月八日、佐藤税理士を訪問し、太郎からあると聞かされていた株券が見当たらないこと等を相談した。

佐藤税理士は、<1>太郎には被控訴人会社からの借入があるので返済してもらわなければならない、<2>太郎には被控訴人会社以外にも、個人的に色々な所から多額の借入をしているようで、これらも返済しなければならない、<3>後になって裏書のある株券が出てくるかもしれないし、こんな小さな会社だと株券そのものが非常に大切で、株券がないということは株の権利もないのと同じである、<4>したがって、遺族は借金のみ返済しなければならない状況にある、と説明した。佐藤税理士は、その上で、控訴人らに対し、相続の放棄を勧めた。

(一一)  一方、被控訴人丙川は、同年四月に入ってから、控訴人らに対し、しきりに借入金の返済を求めた。被控訴人丙川は、花子の入院先まで来て、借入金三〇〇万円を返さないと差押えをする等と述べたほか、太郎は町の金融業者からも沢山借りているとも述べた。

控訴人らは、死期の迫っている花子に借金を相続させるに忍びず、花子をして本件申述をさせ、その直後の同月二三日、花子は死亡した。

(一二)  控訴人三郎、同丙山及び同乙野は、同月二七日、被控訴人会社を訪れ、被控訴人丙川から、太郎の三月分の給与六二万七二二九円(請求原因3(四))を受領した。また、被控訴人丙川は、同控訴人らに対し、請求原因3(二)及び(三)の預金にかかる通帳を交付したが、右通帳は、前記の同月七日に金庫を開扉した際には発見されなかったものであった。

そして、被控訴人丙川は、同控訴人らに対し、被控訴人丙川の太郎に対する貸金として二〇八万四六二〇円、太郎の被控訴人会社への未納金として三四万五九〇四円、被控訴人会社の太郎に対する貸付金として四一九万九二九〇円、被控訴人会社の太郎に対する仮払金として二三一万四五一六円、以上の合計八九四万四三三〇円を返済するよう要求し、退職慰労金も一切出さないと言明した。さらに、被控訴人丙川は、太郎の借金は他にもかなりあるかのような口振りであった。

しかし、太郎死亡当時の同人の負債は、実際には、被控訴人会社に対するものが六四三万余円、被控訴人丙川に対するものが二五七万余円、年金福祉事業団に対するものが一八〇万円、以上合計一〇八〇万余円程度のもので、これに控訴人丙山に対するもの一五〇万円、控訴人三郎に対するもの一八〇万円を加えても、せいぜい一四〇〇万円程度のものであった。

(一三)  控訴人乙野は、同年五月末ころ、小倉の弁護士にも相談したところ、「株は赤の他人が持ってくれば控訴人らは何も言えない。借金についてはサラ金であればどうなるのか分からない。」との回答を受けるに止まり、それ以上の法的打開策の教示は受けなかった。

(一四)  かくして、控訴人らは、両親が相次いで他界する混乱の中、太郎には払いきれない程の多額の借金があると考え、被控訴人会社の株券も存在しないことから被控訴人会社の株主として権利主張することもできないと判断し、被控訴人会社ら以外の債権者の存否及び債権額について格別調査することなく、相続を放棄することを各々決意し、同年四月末ころから六月初めころにかけて、本件申述をし、遅くとも同年六月一七日までに本件申述は受理された。なお、控訴人らは、本件申述をする際に、次順位の相続人である竹夫らに相談はしていないし、家庭裁判所に対しいかなる説明をしたかも明らかではない。

(一五)  控訴人一郎は、太郎死亡後から、被控訴人丙川に、「株もなく、借金も返せないのに取締役をしている。」と毎日大声で罵倒され、心身不調となり、同年六月六日ころ、就任に追い込まれた。

(一六)  平成二年になって、北九州市役所職員が、被控訴人丙川から、控訴人らが太郎の預金を下ろしたと聞き、相続の放棄は無効だとして、控訴人三郎に対し、太郎の未納税金を支払うよう督促に来た。

そこで、控訴人らは、永野弁護士に相談に行くとともに、被控訴人会社の登記簿謄本を取ってみると、佐藤税理士が前示(五)のとおり監査役になっていること及び太郎の死後一〇日ほどで被控訴人丙川が代表取締役になっていることが判明した。

(一七)  永野弁護士は、控訴人らの話を聞き、平成三年二月ころ、本件株式について被控訴人丙川及び松子が権利を有しないこと等を内容とする確認書を徴求することを決めた。他方、控訴人らは、同年三月ころ、坂口繁和弁護士に対し、本件訴訟を委任したが、同弁護士は、右確認書が取れた後に提訴した方が良いと判断し、控訴人らもこれを了承した。

(一八)  平成五年に入り、ようやく被控訴人丙川及び松子から、確認書を取ることができた。右確認書によると、控訴人ら、被控訴人丙川及び松子の三者とも、本件株式を保管・占有していないこと、太郎から本件株式の譲渡を受けておらず、何らの権利を有していないこと、本件株式は太郎の相続財産であること、被控訴人丙川は被控訴人会社代表取締役として本件株式を再発行すること、本件株式について再発行される株券を永野弁護士に引き渡すことが合意されている。

(一九)  控訴人乙野及びその夫は、平成六年ころ、前掲確認書が取れたので、身障者療護施設である門司の戊川園に昭和六〇年五月一日から入園している松子に面会に行った。松子は、本件株式は被控訴人丙川が盗んだ旨を話した。そこで、控訴人乙野は、松子は手が不自由であったので、書面に「甲野太郎が持っていた乙山電業の株券一万二百株は丙川が盗りました。平成六年」と本文を記載し、その脇に松子に署名及び拇印をしてもらった。平成八年になって、控訴人乙野及び同丙山が再び松子に面会しているが、松子は、被控訴人丙川と二人で太郎の居宅にあった金庫から株券を出し、被控訴人丙川が右株券を持って行ったと述べ、さらに、太郎の株券は丙川がとった旨の書面を自書し、署名拇印した。

2  原審証人佐藤の証言並びに原審及び当審における被控訴人丙川本人の供述の信用性について

(一)  被控訴人丙川の供述について

(1) 被控訴人丙川は、太郎の有していた本件株券を隠匿したことはないし、これを所持してもいない旨供述する。しかしながら、前項(一九)に認定のとおり、松子は被控訴人丙川が「盗った」ことを認める書面を作成したり、その旨を控訴人らに語っているし、太郎が死亡した昭和六〇年三月三一日夜の被控訴人丙川の控訴人らに対する対応には不可解なものがあり、後に説示する被控訴人丙川の供述の不審点をも考慮すると、前記供述は採用できない。

(2) 被控訴人丙川は、当審になってから、「昭和六〇年四月四日、被控訴人会社の臨時取締役会が開かれた。控訴人一郎は代表取締役就任を拒否し、説得も聞かなかった。控訴人一郎は、被控訴人丙川に代表取締役就任を勧めた。」旨供述した。さらに、「昭和六〇年四月一一日、臨時取締役会が開催された。被控訴人丙川が被控訴人会社の代表取締役になることが決まった。」旨原審及び当審において供述した。しかしながら、このように重要な取締役会の議事進行を明らかにする取締役会議事録など客観的証拠の提出は一切ない。

(3) 被控訴人丙川は、被控訴人会社の代表取締役に就任した動機について、「太郎死亡後、梅夫、控訴人一郎から代表取締役をやってほしいと言われた。断ったが、九州電力の北九州支店技術次長甲田からも取り敢えず一年やってほしいと要請されて、引き受けることになった。」旨述べる。

しかしながら、太郎の後を継ぐべく同人に指名されて被控訴人会社取締役に就任した控訴人一郎が、就任後わずか四ヶ月で、しかも太郎の死後数日のうちにそのような発言をするとは考え難いし、被控訴人丙川は、控訴人一郎が代表取締役就任を固辞する理由を具体的に供述しているわけでもなく、本件全証拠によるも控訴人一郎が固辞する理由を見出し難い。

却って、控訴人丙山は、控訴人一郎からは代表取締役就任を固辞したことはないと聞いている旨、また、甲田も被控訴人丙川に対し、立ち話程度に軽い気持ちで「被控訴人丙川が代表取締役になったらどうか。」と言ったにすぎない旨供述(原審)しており、甲田の九州電力における地位、職分からして、一工事業者の役員人事についてあれこれ指導・助言をすることはいささか想定し難いことをも考慮すると、控訴人丙山の右供述は信用できる。

以上の諸事情を総合すると、前示認定に反する原審及び当審における被控訴人丙川本人の供述は採用できない。

(二)  原審証人佐藤の証言について

(1) 原審証人佐藤は、太郎死亡当時の被控訴人会社の経営内容について、「状況は芳しくなく、太郎は個人的に借財もあったようだし、会社資金を流用したり、架空経費の計上(労務費の過大計上)もしていた。これらが会社経営にしわ寄せされていた。」旨いったんは証言したものの、実際には、被控訴人会社は、第三二期決算(昭和五七年四月一日から昭和五八年三月三一日)において当期利益一七八万三六二八円、当期未処分利益八九万六一四九円を、第三三期(昭和五八年四月一日から昭和五九年二月二九日)においては、当期利益三万〇四四九円、当期未処分利益五一万四〇九八円を、第三四期(昭和五九年三月一日から昭和五九年九月三〇日)においては、当期利益二五二万二二一九円、当期未処分利益三〇三万六三一七円を、各計上しているとおり、決して経営内容が悪かったわけではなく、このことを控訴人ら代理人から追及されて、結局証言の変更を余儀なくされている。

(2) また、同証人は、控訴人らが同証人を訪ねた際の状況について、「太郎の相続人らは、太郎死亡後一、二ヶ月以内で被控訴人丙川が社長に就任した以後に事務所を訪れ、被控訴人会社の決算内容あるいは決算書を見せてほしいと言って来た。守秘義務の関係があり、被控訴人丙川の了解を貰ってほしいと述べると、相続人らは直ぐに帰って行った。その後は来てない。」旨一見もっともらしい証言をするが、前項(一〇)の内容に対比して、容易には措信できない。

同証人は、前項(五)に認定の事実からすると、松子や被控訴人丙川との結びつきが強いと考えられ、特に、被控訴人会社の顧問税理士であったほか、同被控訴人が代表取締役就任後、竹夫の後をついで監査役をも兼任して現在に至っており、しかも両面から報酬を得るという強い利害関係を有しているのであって、その証言を安易、直截に信用することはできない。

以上の検討によれば、前示認定に反する原審証人佐藤の証言部分は採用できない。

3  検討

以上の認定事実を前提に錯誤の成否について以下に検討する。

花子及び控訴人らは、詳細は不明であるものの、太郎には被控訴人会社ら以外の一般債権者からの多額の借金がある旨、他方、本件株式は所在不明であり、本件株券がなければ株主としての権利行使もできない旨、また、太郎を相続しても多額の借金を相続するだけである旨の話を聞かされて、これを信じ、結局は太郎の過大な債務のみを承継させられるものと誤信し、これを回避することを動機として、本件申述に及んだものと認められる。ところが、現実には、一般債権者からの多額の借入など現在に至るまで出てきておらず、株主としての権利行使に関しても、法律上誤った情報を信じて、右誤認の上、本件申述に及んだのであるから、花子及び控訴人らは、錯誤により本件申述をしたと認められる。

ところで、相続放棄の申述に動機の錯誤がある場合、当該動機が家庭裁判所において表明されていたり、相続の放棄により事実上及び法律上影響を受ける者に対して表明されているときは、民法九五条により、法律行為の要素の錯誤として相続放棄は無効になると解するのが相当である。

これを本件についてみるに、家庭裁判所が相続放棄の申述を受理する際には、一般にはその者の真意を確認する方策をとっていることはともかくとして、前示認定によれば、控訴人らは、本件申述受理の結果、次順位者として相続人となるべき者に対しては、何ら相談をしていないのであるから、この者らに対して動機が表明されていないことは明らかである。しかしながら、太郎の遺産である積極財産を構成するものは本件株券のみであり、本件申述により事実上及び法律上大きな影響を受けるのは被控訴人会社らである。これらとの関係でみると、前示認定のとおり、太郎に一般債権者から多額の借入があると控訴人らを誤信させた者は被控訴人丙川である。また、本件株券がなければ株主としての権利を行使できないと誤信させたのは、被控訴人会社の顧問税理士であり、太郎の税理関係をもみていた佐藤税理士である。しかも、前示認定の佐藤税理士と被控訴人会社や同丙川らとの繋がりから、佐藤税理士の前記(二、1、(一〇))言動も被控訴人丙川の意を通じてのことと推認するに難くない。そうすると、佐藤税理士の立場やその言動は、被控訴人丙川自身の発言と評価することが可能であり、ひいては、同被控訴人が代表取締役を勤める被控訴人会社にも、その効果を及ぼすものと解するのが相当である。

そうすると、本件申述の動機は、事実上及び法律上利害関係を有する被控訴人会社らに黙示的に表明されているとみるのが相当である。よって、本件申述には、要素の錯誤があるというべきである。

三  控訴人らの重過失(抗弁1)について

被控訴人会社らは、控訴人らには錯誤について重過失があると主張するので検討する。

前示認定事実によれば、花子及び控訴人らは、佐藤税理士の説明から、本件株券がなければ株主としての権利行使ができないと誤信し、控訴人一郎においては、被控訴人丙川から株もないと非難され、控訴人乙野においては、弁護士からも「株は赤の他人が持ってくれば控訴人らは何も言えない。」との否定的見解を示されていたのであるから、法律的素養に通暁しているとはいえない花子及び控訴人らにとって、右のような誤信をすることをもって一概に重大な落ち度があるということはできない。

また、一般債権者からの多額の借入があると誤信したことについては、右誤信は、被控訴人会社及び太郎の経理状況等に精通した被控訴人丙川及び佐藤税理士の言動により生じたものであり、それらが、確たる根拠を示してのものではないものの、花子及び控訴人らが右言動に疑問を持ってしかるべき徴憑は、本件全証拠によるもうかがわれない。また、花子及び控訴人らにおいて、何の資料もない状態で債権者の存否及びその額を調査するのも容易とはいえない状況にあった。したがって、右のような誤信をすることをもって一概に重大な落ち度があるということはできない。

以上の検討によれば、花子及び控訴人らには、錯誤に陥ったことについて未だ重過失があると認めるに足りないというべきである。よって、抗弁1は理由がない。

四  権利濫用(抗弁2)について

被控訴人会社らは、控訴人らの相続放棄の無効の主張は権利濫用であると主張するので検討する。

前示認定事実によれば、控訴人らが相続放棄が無効であると考えるようになった端緒は平成二年ころの北九州市役所職員の発言であり、本件訴訟の提起が平成六年一二月一三日であることは当裁判所に顕著である。そうすると、本件申述から九年以上、また右無効を認識し始めてからも約四年程度の期間経過後に至って初めて無効の主張を行ったことになる。

ところで、被控訴人会社らは、控訴人らの相続放棄無効の主張は、被控訴人丙川が、数年来の懸命の努力により、被控訴人会社が利益を生むよう体質改善されるに至ってからされた旨主張し、当審における被控訴人丙川本人も「被控訴人丙川が代表取締役を引き受けた当初は資金繰りが大変であったが、一年間で受注が倍増した。平成元年には、九州電力本店の指名を貰い、経営が安定するようになった。平成四年ころからは利益を出している。」旨供述する。

しかしながら、前示認定のとおり、被控訴人会社は、被控訴人丙川が代表取締役に就任する以前から黒字を計上していたのであって、右黒字が粉飾であることをうかがわせるに足りる証拠も存しない。したがって、被控訴人会社の黒字計上がすべて被控訴人丙川の尽力によるとの主張は採用の限りでない。

そして、控訴人らが、相続放棄の無効を認識し始めてから、これを主張するまで、約四年もの期間が経過した主な理由は、二1(一八)、(一九)に認定のとおり、被控訴人丙川らが、本件株券に関する確認書に同意して、署名、押印するのに日時を要したこと、その上で松子の裏付けをとる必要もあったことなどによるものであり、控訴人らのみの事情による経過とは認め難い。さらに、前示認定のとおり、花子及び控訴人らが錯誤に陥った原因を作ったのは被控訴人会社ら側であることも看過できない。

以上を考慮すると、控訴人らの相続放棄の無効の主張が権利の濫用に当たるとは到底解し難い。よって、抗弁2は理由がない。

五  請求原因5(相続関係)について

以上の次第で、本件相続放棄は要素の錯誤により無効である。したがって、本件株式は、花子が二分の一、控訴人らが各一〇分の一の割合で相続し、前示認定のとおり、花子は昭和六〇年四月二三日死亡しているから、控訴人らは、花子の本件株式に対する準共有持分二分の一を各五分の一の割合で相続するので、控訴人らは、本件株式について結局各五分の一の割合の準共有持分を有しているというべきである。

六  請求原因7について

被控訴人らが控訴人らが本件株式を準共有していることを争っているのは明らかである。

被控訴人丙川及び同相続財産につき、本件訴えの適否について検討する。

被控訴人相続財産は、控訴人らが本件株式を準共有していることが認められれば、その積極財産は皆無となり、その権利主体性すら危うくなるから、本件訴えについて法律上の利害関係を有すると認められ、しかも、本件訴えは、被控訴人相続財産との紛争を解決するために最も適切と認められる。

被控訴人丙川は、控訴人らが本件株式を準共有していることについて、本件申述が有効であると主張しているにすぎず、本件株式について権利主張をするものではない。しかしながら、前示認定のとおり、被控訴人丙川は、本件株式を太郎の居宅の金庫から持ち出し、自らその所在を不明にしている者であり、何時でも本件株式を第三者に取得させたり、そのような外形を作出することは容易であるから、控訴人らと被控訴人丙川との間で、本件株式の帰属及び保持権限について確定しておく法律上の利益を肯定できる。

以上の次第で、控訴人らの被控訴人らに対する本件訴えはいずれも適法というべきである。

七  結論

以上のとおり、控訴人らの被控訴人らに対する本件請求はいずれも理由がある。

よって、これと異なる原判決は不当であるから、これを取り消すこととし、主文のとおり判決する。

平成一〇年八月一九日口頭弁論終結

(裁判長裁判官 川本 隆 裁判官 兒嶋雅昭 裁判官 下野恭裕)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例